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仕事観・哲学

アプリを作ったら、書ける言葉が増えた

最初は、便利のためだけに作ったつもりでした。

3,300本のYouTube動画。生徒さんから「先生の動画、続編が見つからないんです」と言われ続けて、自分でも探すのに苦労する状態になっていた。だから、自前のアプリを作りました。動画を整理して、検索できるようにする、それだけのつもりだったんです。

でも作り終えて、しばらく使ってみて、ある違和感が見えてきました。


動画では言えなかったことが、書きたくなった

アプリの中にブログ機能を作ったとき、不思議なことが起きました。

書きたい言葉が、次から次へと出てくるんです。

それも、動画では一度も語ったことがないような種類の言葉。「指導の哲学」「教える側の姿勢」「道具との向き合い方」——そういう、スキルでも演奏でもない、自分の考え方そのものが、文字として湧いてくる。

不思議だなと思って、しばらく考えていました。なぜ今まで、これらの言葉を書こうと思わなかったんだろう、と。


動画は「やって見せる」、ブログは「考えていることを言語化する」

考えてみると、動画とブログでは、伝えられるものが違うんです。

動画で伝えられるのは、スキル、演奏、解説。やって見せることが得意なメディア。

一方ブログは、思想、哲学、判断基準。深く考えていることを、言葉にしていくメディア。

僕は20年以上、生徒さんに音楽を教えてきました。その中で気づいたこと、信じていること、判断の基準にしていること——そういう目に見えないものは、動画ではなかなか扱いにくい。演奏や解説の合間に、ぽろっと一言語ることはあっても、それを記事として深く掘り下げる場所が、なかった。

ブログという自前の場所ができて、初めてそれを置く場所ができたんです。


YouTubeでは、無意識に「伸びる方」へ寄せてしまう

もう一つ、気づいたことがあります。

YouTubeで動画を出していると、無意識に「伸びる方向」に寄せていく自分がいました。

「この長さが今は受ける」「このサムネが効く」「このテーマが検索される」——そういう外部の基準が、自分の中に入り込んでくる。それ自体は悪いことじゃない。むしろ届けるための工夫として、自然なことです。

でもそれだけで動画を作り続けていると、自分が一番伝えたかったことが、少しずつ脇に押されていくことに気づきます。

「これは伸びないだろうから、やめておこう」

「これは検索されないテーマだから、後回しにしよう」

そうやって、本当に書きたかった言葉が、書かれないまま消えていく。


自前の場所だから、書ける言葉がある

ブログを書き始めて、その逆の現象が起きました。

「これが伸びるかどうか」を考えなくなった瞬間、書きたかった言葉が一気に出てきたんです。

道具と手仕事の話、お針子の物語、ピアノを教える時に大事にしていること、AIとの付き合い方——そういう、自分の中にずっとあったけれど、外には出していなかった言葉たちが、急に呼吸を始めました。

これって、自分の場所だから書けるんだと思います。アルゴリズムを気にしなくていい場所、伸び方を考えなくていい場所、誰のために書くかを自分で決められる場所。

そういう場所がないと、思想は書けない。


思想は、自分の場所でしか育たない

便利のために作ったアプリが、結果として「思想を置く場所」になった。

これは、想定していなかった効果です。

僕は今、動画を作り、ブログを書き、レッスンをしています。動画ではスキルを伝え、ブログでは考え方を伝え、レッスンでは目の前の一人と向き合う。

それぞれの場所に、それぞれの言葉がある。

そして気づいたのは、ブログという場所がなかったら、自分の中にこんなに書きたい言葉があったことすら、気づかなかったということ。

場所が、言葉を呼び込むんですね。


アプリを作って良かったと、最近よく思います。

便利になったことより、書ける言葉が増えたこと。

それは予想していなかった、嬉しいおまけでした。