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音楽教育論

3回試して失敗したら、形を疑う

ある日、自作の道具が動かなかった

ブログを公開するために、自分専用の閲覧道具を作っていた。スマートフォンで開くとメニューボタンは表示されるのに、押しても何も起こらない。

ボタンの設定を見直した。直らない。

ボタンの背景効果を取り除いた。直らない。

別の角度から修正を試みた。やはり直らない。

3回連続で失敗した瞬間、ふと手が止まった。

「そもそも、このメニューボタンは必要だっただろうか」

この道具は自分しか使わない。見た目を整えるためにメニューを畳んでいたが、項目を全部画面に並べてしまえば、ボタンを押す必要すら無くなる。

ボタンを削除した。項目を全て横に並べた。問題は消滅した。

直そうとしていた対象は、最初から不要だったのである。


同じ構造が、レッスンの中にも存在する

この経験で想起したのは、生徒との練習場面だった。

ある楽曲を練習している生徒が、楽譜に書かれた特定のフレーズで何度も躓く。指が回らない。リズムが揃わない。同じ箇所を3回弾いて、3回とも失敗する。

定石は「もっとゆっくり」「もう一度」「指使いを再検討して」。間違いではない。技術を向上させる練習として、いずれも正当な助言だ。

ただ、ある時期から、私はこう問いかけるようになった。

「このフレーズ、何のために存在していると思う?」

返ってくる答えは、おおよそ「コード進行を彩るため」「楽曲の感情を表現するため」「次のフレーズへ繋ぐため」のいずれかに収束する。

そこまで言葉にしてもらってから、提案する。

「では、楽譜通りでなくて構わない。コード進行さえ合っていれば、君が弾けるフレーズで同じ役割を果たせばいい」

8分音符が連なる細かいフレーズを、簡素な分散和音に置き換える。装飾の多いオブリガートを、骨組みだけの3音に削ぎ落とす。

弾けるようになる。曲が成立する。生徒の表情が、明らかに変化する。


「楽譜通り」は形であり、目的ではない

楽譜に記されているのは、作曲者あるいは編曲者が「こう弾けば、この情感が伝わる」と判断した一つの解答である。多くの場合、職業演奏家を想定して書かれた解答だ。

それは尊重すべきものだ。しかし絶対ではない。

音楽の目的は「楽譜通りに弾くこと」ではなく、「その楽曲の感情を、その人の手と声で表現すること」にある。

楽譜は手段。目的は表現。

この二つを混同すると、3回失敗しても4回目を試してしまう。「もっと練習すれば弾けるはずだ」と粘り続けてしまう。粘ること自体に価値はある。だが、目的に対して手段が適合していない場合、いくら粘っても辿り着けない。

形を疑う。手段を変える。目的だけを握り続ける。

これは「楽をする」とは違う。「諦める」とも違う。目的のために、形を選び直しているだけのことだ。


3回ルール

私は今、自分の指導において「3回ルール」のようなものを意識するようになった。

同じ方向で2回試す。微調整で粘る。

3回目も失敗したら、一度手を止める。

そして問い直す。「これは何のためにやっていたのか」と。

目的が見えれば、形は手放せる。

キーを下げる。コードを簡略化する。フレーズを別の形に置き換える。歌う前に話してみる。立って弾いてみる。譜面を閉じて、聴いた印象だけで弾いてみる。

形を変えた瞬間に、生徒が「あ、これなら出来る」という顔をすることがある。その時、生徒は逃げているのではない。自分の手と声で、目的に到達する道筋を発見したのだ。


形に固執すると、本質を見失う

20歳でレッスンを始めて以来、1000人を超える生徒を見てきた。最初の頃の私は、楽譜通りに弾かせることに固執していた時期があった。「正しい形」を教えなければ指導者として失格だと、本気で信じていた。

しかし、ある時期から少しずつ気づき始めた。

楽譜通りに弾けていても、その人の音楽になっていない演奏がある。

楽譜と異なることをしていても、その人の音楽として完成している演奏がある。

形を守ることが、本質を裏切る瞬間が、確かに存在するのだ。

その認識を得てから、私は楽譜を「絶対の指示書」ではなく「作曲者からの提案書」として扱うようになった。提案を受け取った後で、生徒と一緒に「この提案を、君の手で受け取れる形に翻訳しよう」と考える時間を持つようになった。

楽譜は否定するものでも、無視するものでもない。受け取った上で、その人に合う形に変換していく作業こそが、指導の本質なのだと思う。


軌道修正は、技術ではなく姿勢

ここまで書いてきたことは、結局のところ技術論ではない。

技術は、目的を達成するための手段に過ぎない。手段を選び直す柔軟性は、技術ではなく姿勢から生まれる。

「自分が今やっていることは、何のためなのか」を問い続ける姿勢。

「これしかない」と思った瞬間に、本当に他の道はないのかと自分を疑う姿勢。

失敗を「自分の力不足」と内側に向けるだけでなく、「形が合っていない可能性」を外側にも向ける姿勢。

3回試して上手くいかない時、自分を責める前に、形を疑ってみる。

道は、思っているより遥かに多い。