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仕事観・哲学

ブログを始めて気づいた、メディアごとの「思考フォーマット」

動画とブログは、使う脳の筋肉が違うんです。

YouTubeを何年もやってきた僕が、つい最近ブログを始めて、それを体ごと実感したところです。

同じテーマを手にしても、動画にするのと、記事にするのでは、考えるプロセスがまるで違う。

この違い、実は音楽をやる人なら、もう体験済みの話だったんです。


演奏・作曲・教える、すべて違う脳を使う

音楽を長くやっていると、あることに気づきます。

同じ「音楽」というジャンルにいても、演奏している時の脳と、作曲している時の脳と、生徒に教えている時の脳は、全て別物だということに。

演奏は「心身の動き」を使う。その瞬間の感情と身体を成り立たせる作業。

作曲は「設計脳」を使う。計画と検証を繰り返しながら、かたちを作っていく作業。

教えるのは「翻訳脳」を使う。自分が感覚でやっていることを、生徒が言葉で消化できる形に組み直す作業。

同じ「音楽をやる」と言っても、この3つは独立した能力です。だから、名プレイヤーが名講師とは限らないし、名作曲家が必ずしも名アレンジャーとは限らない。

使っている脳の部位が違うからです。


動画とブログも、同じ違いがある

動画とブログも、これと同じことが起きているんです。

動画は「演出脳」を使う。

時間の流れの中で、どこでフックを置くか、どこで間を取るか、どこで実演を入れるか。視聴者は受動的に流れに乗るので、こちらが脳の処理速度をコントロールできる。

ブログは「設計脳」を使う。

読者は自分のペースで読むので、こちらの流れには乗せられない。その代わり、論理の骨格・段落の重み・余白の使い方——つまり「空間的な設計」で読ませることになる。

動画は僕の脳の動きを伝えるメディア、ブログは僕の思考の地図を伝えるメディア。

同じ題材でも、見せ方の精度が違うんです。


「わかった気」と「他人に伝える」の違い

もう一つ、ブログを始めて驚いたことがあります。

動画だと、「このあたりは感覚で」という部分も許される。もやもやしたところも、行間やトーンでカバーできる。

でもブログは違う。論理の足場が一つでも折れていると、読者はそこで転ぶ。

今回の記事を書いている中で、「そこ、意味不明」という指摘をもらった箇所がありました。自分で読み返しても「何が言足らず」わからなかったところ、他人の目で見た瞬間に論理の穴が見えたんです。

これはまさに、生徒に「よくわからないんです」と言われた瞬間に、自分がどこで説明をスキップしていたかが見えるのと同じです。

「わかった気になっているだけ」の部分が、ブログにしようとした途端、あぶり出されるんです。


AIとの会話も、メディアで変わる

さらに面白いのは、Claudeに投げる言葉もメディアごとに変えた方が、いいアウトプットが出てくるということ。

  • 「これ動画台本にして」→ 演出重視モード(フック、間、実演ポイント)
  • 「これブログにして」→ 構造重視モード(論理、段落、読者の足場)
  • 「これ思考メモとして整理して」→ 探索重視モード(連想、見逃し、接続)

同じテーマを渡しても、「どのフォーマットで仕上げたいか」を最初に伝えるだけで、出てくるものが全く違います。

つまり、僕たちが「AIを使う」と言うとき、本当に訓練されるべきは「言葉を選ぶ力」だったわけです。


「動画にするほどじゃない思考」の受け皿

今まで、SNSでふと思いついたことや、生徒さんとの会話で生まれた気づきは、ちゃんと記録せずに流れて消えていきました。

「動画にするには軽すぎる」「わざわざ作るほどじゃない」と思って、手をつけずにいた考えたち。

でも、ブログなら違う。

5分で思いついたつぶやきも、チャットで生まれた気づきも、Claudeと一緒に形にしていけば、1500字の読み物になる。

動画にするほどじゃない思考も、ブログなら資産にできる。


メディアを使い分けるということ

動画をやめる話ではありません。動画は動画で、これからも主力です。

でも、すべての思考を動画にしようとすると、動画になりにくい思考は捨てられてしまう

演奏しかしない人が、作曲も教える作業も身につけないのと同じです。それでは音楽を多面的に語れる人にはなれない。

同じように、動画だけでは伝えられない思考がある。ブログだけで伝えられない感覚もある。モヤモヤした思考を整理したいときは、Claudeに「思考メモとして」と伝えればいい。

メディアを使い分けるということは、脳の違う部分を鍛えること。

そしてそれは、自分の思考を豊かにしてくれるんです。

ちなみに、この記事そのものが、ブログを始めた今日生まれた「動画にするほどじゃない思考」を、そのまま記事にしたものです。