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その他

サルティーナという言葉と、「道具一つで人生を切り開く」ということ

サルティーナという言葉と、「道具一つで人生を切り開く」ということ

サルティーナ。

いい響きだと思いませんか。

イタリア語で「お針子」を意味するこの言葉に、最近しびれています。

きっかけは、いま読んでいる「ミシンの見る夢」(ビアンカ・ピッツォルノ著、中山エツコ訳)という本。

19世紀末、階級社会のイタリアの話です。コレラの流行で家族を次々に失い、おばあちゃんと二人だけで生き残った少女が主人公。彼女が祖母から裁縫を学び、やがて一人になっても、ミシン一つで自分の人生を切り開いていく物語です。

読み始めた瞬間から、僕の中で何かがざわついています。


言葉の響きが、もう物語の一部

「お針子」という訳もやわらかくていいんですが、原語の「サルティーナ(sartina)」には、もう一つ別の温度があるように感じます。

「サルト(sarto)」が仕立て屋。それに「小さい」という意味の「-ina」がついて、サルティーナ。

「小さな仕立て屋」と訳してもいい言葉です。

実は本の中では、もう一つ「サルタ(sarta)」という言葉も出てきます。こちらは自分のお店を持って、流行を追いかける裕福なお客さんを相手にする、ちゃんとした女性裁縫師のこと。サルティーナは、そのサルタの下で働くか、家々をまわって日雇いで針仕事を請け負う、もっとつつましい立場の人を指します。

呼び方一つで、その人の立ち位置までわかってしまう。

言葉ってすごいです。たった一つ選ぶだけで、その本がどんな色を持つかが変わる。今回、それを体ごと感じています。


ミシン一つで、人生を切り開く

主人公に名前はありません。「私」としてだけ語られる、名もなきひとりのお針子です。

物語は、彼女が5歳のときに始まります。コレラで家族を次々に失い、52歳の祖母と二人きりになる。祖母は孫を孤児院に行かせないために、住み込みの仕事を断って、針仕事だけで生きていくことを決めます。

そして7歳になった彼女に、祖母は針仕事を教え始める。

やがて祖母も亡くなり、彼女はたった一人で世の中に放り出されます。

彼女が持っているものは、ミシン一台と、祖母から受け継いだ針仕事の技術だけ。

でも、それだけで、彼女は生きていけるんです。

もっと言うと、それだけだからこそ生きていける。お屋敷に通って針仕事をしながら、そこで見た人間模様を一つひとつ受け止めていく。そして自分の人生も、その手で縫い進めていく。


「道具一つで生きていく」ということ

ここまで読んで、僕の中でストンと落ちたものがありました。

ミシンという道具も、楽器と同じなんだなと。

僕は20歳のときにDirectline Studioを始めて、楽器だけでここまでやってきました。言ってしまえば、ミシンの主人公と同じです。

道具一つと、それを使いこなす技術だけを拠り所に、人生を切り開いていく。

階級も、背景も、出身も関係ない。手に一つの道具と、それを磨いた時間だけが、ちゃんと人を育ててくれる。

これはミシンの話でもあり、楽器の話でもあり、筆の話でもあり、ペンの話でもあり、包丁の話でもあります。

手仕事を持っている人は、どんな状況になっても生きていける。これは19世紀末のイタリアでも、令和の日本でも変わらないんだと思います。


「見る側」に回る人

もう一つ、この本で面白いと思ったのは、主人公が「見る側」の人間だということ。

お針子としてお屋敷に通っていると、彼女はいろんな人生を「見る」ことになります。家庭の秘密、愛と憎しみ、嘘、表と裏。お屋敷に出入りするからこそ目撃できる、誰にも語られないこと。

ただ針を動かしながら、語られていないことを見ている。

これ、生徒さんを指導していても同じ体験があるんです。

レッスンをしていると、その人の人生を「見る」ことになる。忙しい時期、悩んでいる時期、心が疲れている時期。そういうものが、レッスンを通して見えてくる。

「見る人」というのは、ある意味でとても豊かな仕事です。たくさんの人生を見た人だけが語れるものがある。

ミシンの主人公は、それを仕事としても、自分の生き方としても、ちゃんと引き受けているように見えます。


消えていく職業の記憶

作者のビアンカ・ピッツォルノは、「お針子さんの時代が忘れられないように」という思いを込めてこの本を書いたそうです。

この一言にも、考えさせられました。

道具と技術が一人の人間を支えた時代があった。その仕事も、そこで生きた人も、やがて消えていく。

音楽の世界も、そうだなと思うんです。学び方も、教え方も、ツールも、どんどん変わっていく。AIが1秒でコード進行を教えてくれる時代になりました。

でも、耳を使って、手を使って、何年もかけて一つの楽器を自分のものにしていく人たちの姿を、誰かが記憶しておかないと、ささやかな仕事として消えていってしまうかもしれない。

ピッツォルノがお針子を書いたように、僕も長い間見てきた生徒さんたちの姿を、どこかに記録していかないといけない。そう思うようになりました。


さいごに

まだ読み進めている途中です。これから主人公がどんな人生を歩んでいくのか、楽しみに読み進めようと思います。

ちなみに、この本の原題は「Il sogno della macchina da cucire」。

直訳すると「ミシンが見る夢」。夢を見ているのは人間ではなく、ミシンの方なんです。

道具が人を見ている、という視点の逆転。

楽器も、長い間一緒にいると、演奏している人を見ているように思う瞬間があります。

もしかしたらミシンも、使い手の人生をずっと見ていたのかもしれません。

サルティーナとミシンと、互いに見つめ合うようにして生きていた時代が、この本の中にあります。