Rock Legends
Episode 07

アメリカン・フォーク

ジョーン・バエズ他

フォーク

ロックの歴史を辿るドキュメンタリー・シリーズ番組。今回はジョーン・バエズ、ウディ・ガスリー、ピート・シーガーなど「アメリカン・フォーク」を特集。

フォークソング(Folk Song , Contemporary Folk music)は、音楽のジャンルの一つ。元来は民謡や民俗音楽を指すが、民謡から派生したポピュラー音楽をも含める。後者には、反戦歌などのプロテストソングも範疇に含まれる。本来のフォークソングの演奏は、アコースティックギターやバンジョーなどを使用し、フォーク・ロックやロックのように電気楽器は使わないのが伝統的な音楽表現である。

歴史[編集]

フォークは、20世紀半ば以降に出現した伝統的なフォークミュージックに関連したジャンルのことである。20世紀半ばから、新しい形式のポピュラー・フォーク・ミュージックが伝統的なフォークミュージックから進化した。この音楽的動きはアメリカの「フォーク・ミュージック・リバイバル」と呼ばれ、1960年代に頂点に達した。最も一般的な名称は「フォークミュージック」であるが、英語圏では「民謡」の意味のFolk Musicと区別するために「コンテンポラリー・フォークミュージック」または「フォークリバイバル・ミュージック」と呼称された[1]。 フォークロックやなどのジャンルも、この現象の中で進化していった。現代のフォークミュージックは一般的に伝統的なフォークミュージックとは異なるジャンルとされるが、多くの場合、伝統的なフォークミュージックと同じ演奏者、会場を共有しており、個々の曲でもこの2つが混ざり合っている場合もある。最初のフォークリバイバルは大衆音楽に大きな影響を与えた。また20世紀後半の「セカンドフォークリバイバル」は、コンサート、レコーディング、放送を通じてアーティストに新しいジャンルのポピュラーミュージックをもたらした。このリバイバルで最も初期の人物の1人はウディ・ガスリーで、彼は1930年代と1940年代に伝統的な歌を歌い、彼自身も作曲をする。ウディ・ガスリーの音楽はアメリカ議会図書館にも保管されている[2]

戦前から戦後のかけてのウディ・ガスリー[3]ウィーヴァーズ[4]、ピート・シーガーらの活動は、ジョセフ・マッカーシーの赤狩りの影響などによりフォークの勢いは弱まった。その一方で1958年にデビューしたキングストン・トリオ英語版)は、ポップチャートで民謡「トム・ドゥーリー」をヒットさせた[5]。これを機にこの動きは北米に広がり、ハイウェイメン英語版)、ボブ・ディラン[6]ピーター・ポール&マリー[7]ニュー・クリスティ・ミンストレルズブラザーズ・フォアCSN&Y、フィル・オクス[8]など多くのアーティストが登場した。英国では、民俗復興により、1960年代後半に有名になったドノヴァンなどのシンガーソングライターの世代が台頭してきた。さらにニール・ヤング[9]、 バフィ・セント・メリー、 ゴードン・ライトフット 、 レナード・コーエン、 ジョニ・ミッチェルらのカナダで出身のアーティストが登場した。

1963年頃にはフォーク・シーンはオリジナル曲が中心になっていった。フォーク・リヴァイヴァル勃興期の演奏形態としては、バンジョー、アコースティックギター、ウッド・ベースという楽器編成が多かった。しかし、次第にバンジョーは使われなくなり、アコースティックギターが中心的な楽器となっていった。

フォーク・シーンで活躍したボブ・ディラン、ニール・ヤングジョニ・ミッチェル、バーズなどのミュージシャンは、1964年ビートルズのアメリカ上陸に影響を受け、エレクトリックギターエレクトリックベースドラムスというロックの楽器編成(但し、アコースティックギターを併用する場合も多い)で演奏するようになった。これをフォークロックと呼ぶ。また英国でもリチャード・トンプソン率いるフェアポート・コンヴェンションやディック・ゴーハン、ユワン・マッコール、ペンタングル、スティールアイ・スパンなど、フォークソングを演奏するミュージシャンが活躍した。1960年代半ば、アイルランドのホースリップス、イギリスのフェアポート・コンヴェンションスティーライ・スパンやアラン・スティーヴェルが 、ロックの伝統的な楽器要素: エレキギターベースドラムを使用した。1970年代、他のグループはこのロック的アプローチを採用した。フォークロックについてMachinのようなグループは、プログレッシブ・ロックに触発されている。

1970年代以降、アメリカのフォークミュージックはスティーヴ・グッドマン、ジョン・プライン、エミルー・ハリス、ハリー・チェイピンなどの新しいシンガーソングライターによって支えられた。イギリスのルネッサンスはプログレとフォークを融合したロックを演奏した。1980年代初頭のザ・ポーグスと1990年代のアイルランドのザ・コアーズにより、 アルバムチャートに伝統的な曲が取り入れられた。コアーズは1990年から2006年まで活動し、ケルト音楽とポップスを演奏し、2つのジャンルをブレンドした曲を発表した。ブランディ・カーライルとパティ・グリフィンは2019年時点で著名なフォークアーティストである。 1980年代、ワシントンスクエアでフォークミュージック演奏が行われた。スザンヌ・ベガはフォークとプロテスト・フォーク指向の音楽を披露[10]。ミランダ・ストーンやスティーブ・アールなどのアーティストは、オルタナ・カントリーとフォークの精神を受け入れた。1990年代後半、フォークミュージックはイライザ・カーシー、ケイト・ラズビー、ビル・ジョーンズ(女性)などのアーティストを通じて、批評家から注目された。カナダにおいて1990年代から2000年代にかけて最も売れたフォークグループは、ニューファンドランド出身のケルト人でロックテイストなグレートビッグシーで、カナダで4枚のアルバムをプラチナヒットさせている。

なお、ネオフォーク(Neofolk)というジャンル名は、欧米のスワンズやコイルらのバンドの音楽を指している。2007年に結成されたマムフォード・アンド・サンズなどのフォーク・ロックおよびインディー・フォーク・バンドは、2010年にブレイクし、シェナンドーランは2011年に1960年代の現代アメリカのフォークミュージックを現代のリスナーに届けるために結成されたバンドである [11]

フィルク音楽もスタイルと文化の面でフォーク音楽と見なすことができる。SFのコミュニティはサイエンスフィクションのファンダムであるが、これは珍しく完全に現代的なもので[12] 1980年代に始まったネオフォークはヨーロッパの伝統的な民俗音楽と歴史、哲学的歌詞、伝統的な歌を融合した。主にヨーロッパであるが、他の地域にも影響を与えた。民俗音楽はドイツ、イギリス、スカンジナビア諸国、スラブ諸国でがメジャーで、デヴィッド・スミス(アカ・ダム・ザ・バード)やダンハイム、アルコナなどのバンドがあり、こうしたほとんどのバンドは、他の音楽ジャンルとフォークジャンルを結び付けている [13]。1980年代にフォークパンクは、フォークミュージックとパンクロックを融合し、ロンドンを拠点とするアイルランドのバンドであるザ・ポーグスによって開拓された。民俗音楽やプロテスト音楽はトピックに関する話題を対象とした。その他のサブジャンルにはインディー・フォークサイケデリック・フォークアメリカーナプログレッシブフォークネオフォークなどのジャンルがある。

主なフォークソング[編集]

特に著名なアーティスト[編集]

日本のフォーク[編集]

日本のフォークは、添田唖蝉坊らの明治時代から存在した演歌(=演説歌の略:現在の演歌と呼ばれるものとは別物)が、戦後のアメリカンフォークの影響(ボブ・ディランピーター・ポール&マリーらの影響下にあるケースが多い)を受け、‘‘日本のフォーク’’として独自に発展していることもあり、弾き語りスタイルからバンドスタイルまで幅広く、指し示す範囲は広い。

1960年代には、ロックバンド風のサウンドやスタイルがグループ・サウンズとして発展し、グループ・サウンズ (以下GS) 流行期、GSと同じステージにフォークグループが立つことが珍しくなかった。現にGSとフォーク共演のコンピレーションアルバムは何枚も出ている。日劇ウエスタンカーニバルと呼応した形で、日劇フォークカーニバルという企画もあった。1960年代後半には、岡林信康高田渡遠藤賢司高石友也中川五郎加川良[16]らの、反戦フォーク、プロテスト・フォークが全盛期を迎えた。また60年代後半から70年代初頭にかけてはフォーク・クルセダーズもとまろ赤い鳥、ピンク・ピクルス、ウィッシュ、五つの赤い風船らも話題曲を発表した。

日本におけるフォークの呼称には様々なものがある(フォークシンガー参照)。1970年代前半にはレコード会社が、フォークの売り上げが大きくなるとの予測を立てた。レコード会社が積極的に売り出したのは、売れ線のヒットねらいのフォークだった。井上陽水吉田拓郎等に代表されるこれらのフォークの特徴は、大衆に媚びた内容、非メッセージ性、フォーク・アイドルとしての売り込みなどである。商業フォーク、産業フォークとも呼ぶのがふさわしい内容で、これらはヒットを記録することにより音楽産業に取り込まれていった。産業ロックや、ニューミュージックの一部と同様で、売り上げの最大化を目指したものも多い。この背景には学園紛争の衰退やフォークソングの支持層が団塊の世代からシラケ世代に移行したことなどがあげられる。(ただし後者に支持されたかぐや姫、拓郎、陽水らはいずれも団塊の世代である。)フォークのジャンルには、反戦フォーク、アングラ・フォーク、プロテスト・フォーク、叙情派フォーク、四畳半フォーク、メッセージフォークなどもある。

主な日本のアーティスト[編集]

詳細は「フォークシンガー」を参照

世界と日本のフォーク年表[編集]

その他[編集]

フランスではライオネル・ロシュマン(Lionel Rocheman)が組織したアメリカンセンターでの最初の音楽祭、フーテナニーによって1964年ごろからパリでフォーク運動が始まった。パリに到着した若いイギリスのミュージシャン、ジョン・ライトやキャサリン・ペリエらは、最初のアメリカン・センターでフォーキーと呼ばれる最初の会合を組織化し、のちにル・ブルドンのフォーククラブになった。その後オールド・グラスやリヨンのシャンテレルなど、他のクラブも登場した。60年代末にはフォーク運動は、パリ五月革命と同様の政治的、社会的運動となる。参加と表現の民主化、または文化的イベントの自己管理の中からこの動きが発生した。

1960年代、70年代のフランスのフォーク音楽家としては、グレアム・オールライト[21]やトライ・ヤン・Tri Yannやアラン・スティベルらがあげられる。彼らの登場は民俗復活と呼ばれ、他のヨーロッパ諸国でも同様に伝統的な歌のリバイバルや、伝統的な楽器( バイオリンバグパイプハーディガーディなど)を使用する伝統的なスタイルの音楽再興の象徴となった。また2000年代にはコクーンが登場し、15万枚のヒットを記録した[22]

ジョーン・チャンドス・バエズ: Joan Chandos Baez、1941年1月9日 - )は、アメリカ合衆国シンガーソングライター

フォークロックの草創期から、今なお第一線で活動し続けている女性音楽アーティストの第一人者。キャリアは60年にも及び、フォーク界に多大な足跡を残した。2017年ロックの殿堂』入り。

名前は「バイズ [baɪz][1][2]」と表記する方が近い。

ウッドロウ・ウィルソン・ガスリー(Woodrow Wilson "Woody" Guthrie, 1912年7月14日 - 1967年10月3日)は、アメリカ合衆国のフォーク歌手・作詞家・作曲家。

ピート・シーガー英語: Pete Seeger、1919年5月3日 - 2014年1月27日)は、アメリカ合衆国フォーク歌手である。20世紀半ばのフォーク・リバイバル運動の中心人物の一人である。

第二次世界大戦前の1940年代から全国放送のラジオで活躍し、1950年代はじめにはウィーバーズの一員として一連のヒット作を出した。1960年代にはプロテストソングのパイオニアとして公の場に再登場し、国際的な軍縮、公民権運動を推進した。

ソングライターとしては「花はどこへ行った (Where Have All the Flowers Gone?)」(ジョー・ヒカーソン英語版)との共作)、「天使のハンマー (If I Had a Hammer)」(ウィーバーズのリー・ヘイズ英語版)との共作)、「ターン・ターン・ターン (Turn! Turn! Turn!)」などの代表作を生み出した。スピリチュアル(霊歌)「ウィ・シャル・オーバーカム (We Shall Overcome)」を1960年代の公民権運動を象徴する歌にした立役者でもある。

晩年にも環境問題について訴える活動を続けていた。


生徒リポート

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