Rock Legends
Episode 08

世界のフォーク

ピーター・ポール&マリー

フォーク

ロックの歴史を辿るドキュメンタリー・シリーズ番組。今回はピーター・ポール&マリーをはじめとする「世界のフォーク」を特集。

ピーター・ポール&マリー(Peter, Paul and Mary)は、1960年代アメリカのフォークグループの一つ。ピーター・ヤーロウ(Peter Yarrow、1938年5月31日 - )、ノエル・ポール・ストゥーキー(Noel Paul Stookey、1937年12月30日 - )と マリー・トラヴァース(Mary Travers、1936年11月9日 - 2009年9月16日)のトリオ。60年代にベトナム反戦のメッセージを全世界に送り出した。通称PP&M、またはPPM。

歴史[編集]

1963年8月28日の

ワシントン大行進

にて

1961年に結成。「背の高いブロンド(トラヴァース)、陽気なやつ(ストゥーキー)、そして見た目の良い気のいいやつ(ヤーロウ)」を揃えた「スーパーグループ」をイメージしたマネージャー、アルバート・グロスマンによって生み出された。結成後、グロスマンはグループを早速、ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジのコーヒーハウス「ビターエンド」に出演させた。ここはフォークソングを聴くには人気の店であった。

1962年4月、「レモン・トゥリー」でデビュー[1]。同年5月、ファーストアルバム『ピーター・ポール&マリー』をリリース。それには、「500マイル」、「レモン・トゥリー」、「花はどこへ行った」、そしてピート・シーガーのヒット曲「天使のハンマー(ハンマーソング)」が含まれていた。アルバムは、ビルボード誌のトップ10に10ヶ月君臨し、トップ100に3年以上にわたり留まった。

1963年2月、新曲「パフ」をリリース[2]。この曲は、ヤーロウと彼の友人でコーネル大学の学生レオナルド・リプトンがもともと1959年に作詞作曲したものである。全米2位を記録。同年6月に発表したボブ・ディランの「風に吹かれて」のカバーも全米2位を記録。

同年8月28日のワシントン大行進では「天使のハンマー」が歌われた。マーティン・ルーサー・キングの演説「私には夢がある」(I Have a Dream)は、この行進の際に行われた。その後長くグループは、アメリカ合衆国の公民権運動やその他の社会的正義を主導する運動の第一線に立ち続けた。

1964年6月に初来日[3]。1960年代にはしばしば来日公演を行い、1967年1月の来日時には、ライブ盤『In Japan』を制作した[4][5]

1967年3月発売のアルバム『Album 1700』において、当時無名だったジョン・デンバーの「悲しみのジェット・プレーン」を取り上げる。同曲は2年後の1969年9月シングルカットされ[6]、ビルボードのポップ・チャートとイージーリスニング・チャートで共に1位を記録した[7][8]

1970年、ソロ活動のために解散。しかしグループとして活動していた当時程の成功を収めることはできなかった。唯一の例外はストゥーキーが1971年に発表した「ウェディング・ソング」である。これはヤーロウが、上院議員ユージーン・マッカーシーの姪メアリーベス・マッカーシーと結婚する際にその結婚式のために作曲されたもので、ビルボードのポップ・チャートで24位、イージーリスニング・チャートで3位を記録した。リリース以後結婚式のスタンダード・ナンバーとなっている。

1978年に彼らは原発反対運動の支援コンサートのために再結成し、一緒にアルバムを製作し、以来一緒にコンサートツアーを行ってきた。彼らは年間40回のコンサートを毎年行ってきた。

1999年、ヴォーカルグループ殿堂入り。

2005年、マリー・トラヴァースが白血病と診断され、その年のコンサートツアーはキャンセルされた。

2007年2月、ノエル・ポール・ストゥーキーが、ソロ活動として北朝鮮による日本人拉致問題の解決(横田めぐみ救出と北朝鮮の譲歩)を願う「Song for Megumi」を発表。5月にも来日し、拉致被害者支援コンサートに参加した。

2009年9月16日、マリー・トラヴァースが、白血病のためコネティカット州ダンベリーの病院で死去。72歳没。

ディスコグラフィー[編集]

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