The Rise and Legacy of Diana Ross
Diana Ross
ドキュメンタリー概要
シュープリームスの誕生 1944年デトロイト生まれ。メアリー・ウィルソン、フローレンス・バラードとともに「プライメッツ」を結成し、モータウンの扉を叩き続けた。バリー・ゴーディーに「高校を卒業してから来い」と言われながらも毎日スタジオに通い続け、ついに契約を勝ち取る。グループ名は「シュープリームス」に改称。
モータウン黄金期(1964〜) 「Where Did Our Love Go」「Baby Love」「Come See About Me」が次々と全米1位。ゴーディーのアーティスト開発プログラムで礼儀作法・メイク・振り付けを徹底教育され「王と女王の前で演じているつもりで」と指導された。1966年のアルバム「The Supremes A Go-Go」はアメリカで女性グループ初の全米1位アルバムとなりビートルズの「リボルバー」を1位から蹴落とした。
ダイアナ・ロスとシュープリームスへ 1967年にゴーディーがグループ名を「Diana Ross & The Supremes」に変更。フローレンス・バラードはダイアナへの優遇に嫉妬し深刻なアルコール依存に陥り、酔ったままステージに上がったことでゴーディーに解雇される。1976年、32歳で心臓発作により死去。
ソロとしての飛躍(1970〜) 「Ain't No Mountain High Enough」でソロデビューし全米1位。1972年の映画「ビリー・ホリデイ物語」でオスカー候補に。1980年のアルバム「Diana」ではナイル・ロジャース&バーナード・エドワーズ(シック)がプロデュース。「Upside Down」「I'm Coming Out」が大ヒット。「I'm Coming Out」誕生のきっかけは、ナイル・ロジャースがディスコでダイアナ・ロスのドラァグクイーンを大勢見かけたことだった。
伝説的な遺産 ライオネル・リッチーとのデュエット「Endless Love」、史上最高額の2000万ドルのRCA契約(当時)など数々の記録を樹立。グラミー生涯功労賞、オバマ大統領より大統領自由勲章を授与。人種と音楽ジャンルの壁を超えた初の黒人女性ポップスーパースター。