The Legacy of Ray Charles
Ray Charles
ドキュメンタリー概要
逆境からの出発 1930年ジョージア州オールバニー生まれ、フロリダ州グリーンビル育ち。4〜5歳で弟が目の前で溺死するという体験の直後から視力を失い始める。フロリダ盲学校でブライユ記譜法による音楽教育を受け、ピアノを独学で習得。14歳で母を失い学校を退学後、ジャクソンビルのクラブでピアノを弾いて生計を立てた。「シュガー・レイ・ロビンソン」との混同を避けるため「レイ・チャールズ」に改名。
アトランティック時代と魂の発明(1950年代) シアトルでクインシー・ジョーンズと出会い、生涯の友となる。アトランティック・レコードへの移籍で「Mess Around」「I Got a Woman」などを発表。1954年の「I Got a Woman」はゴスペルとR&Bをはじめて融合させた楽曲として「ソウルミュージックの原型」と呼ばれる。「What'd I Say」(1959)は露骨な性的ニュアンスで物議を醸しながらも初のポップチャート入り。フランク・シナトラから「天才」と称されるほどの存在に。
カントリーへの越境(1962) ABCパラモントへ移籍し、自らのマスター権を獲得。「Georgia on My Mind」「Hit the Road Jack」が相次いで全米1位。1962年のアルバム「Modern Sounds in Country and Western Music」は全米1位を記録し、ウィリー・ネルソンに「カントリー音楽を世界に広めたのは白人じゃなくレイ・チャールズだ」と言わしめた。
晩年と遺産 ヘロイン依存を1965年に克服。「America the Beautiful」を独自アレンジして発表し白人保守層から批判を浴びるも、公民権運動の文脈で大きな共感を呼ぶ。ウィリー・ネルソンとの「Seven Spanish Angels」が全米1位。死後に発表されたデュエットアルバム「Genius Loves Company」がグラミー8冠・全米1位。2004年6月、74歳で逝去。ビリー・ジョエルは「エルヴィス・プレスリーより重要な音楽人」と評し、R&B・ゴスペル・カントリー・ロック・ジャズすべてのジャンルを横断したポピュラー音楽の礎を築いた。